「聞きたい事があるんだけど」
一分ほど腕組みをして考え込んでいた義男が顔を上げ、何もする事が無くひたすら天井の木目を眺めて待っていた浩一に声をかけてきた。
「冷蔵庫から出て来た紙に『へやからでたらしぬ』って書いてあったって言ったよな」
浩一は義男の言ってる事の意味が分からなかったが、あまりに真剣な顔で義男が聞いて来るので少し不思議に思った。
「言ったよなって……。自分でどっきりだって言ったじゃん。お前が書いたんだろ?」
「そうか……」
そう言って義男の表情が少し曇るのが浩一に見えた。不安で満たされた湧き水が、じわじわと浩一の首元までわき上がってくる。
「そうか……。って何だよ? 『へやからでたらしぬ』って書いたのはお前なんだろ?」
期待する答えが返って来るのを望みながら浩一は聞いた。
「いや、書いた事は書いたんだけどさ……。違うんだよ……」
「何だよ違うって! はっきり言えよ!」
また腕組みをして俯いてしまった義男にじれた浩一は大声を出してしまった。だが義男はその声に動じもせず、落ち着いた声で言った。
「分かった分かった、言うよ。実はな、俺が最初に書いたのは『へやからでるな』だったんだよ」
『?』だった。本当に浩一の頭の中は『?』だけになり、次の瞬間、突然頭の中で『混乱』という題名のドタバタ劇が始まりパニックになった。
「昨日の夜にどっきりを思いついてね。『へやからでるな』って書いた紙を冷蔵庫に入れておいて、偶然それを見た奴がどれくらい部屋にいるもんか調べてやろうと思いついたのよ」
パニクる頭の中で、それはどっきりとは言わねぇ! と浩一は思いながらも頷いた。
「で、とりあえず冷蔵庫に紙を入れて準備オッケーってな事だったんだけど、実際に冷蔵庫を開けた時に紙がちゃんと出て来るか見たかったからさ、冷蔵庫開けてみたんだ」
全く話の先は見えなかったが、とりあえず浩一は言葉を挟まずに聞く事にした。
「そしたら、紙はちゃんと出てきたんだけど……。拾って見たら『だれかへやによばないとしぬ』って文字に変わってたんだよ」
とんでもない話の内容に浩一の頭はしっかりと反応し、言葉を失った。だがそんなとんでもない話になっているにも関わらず、義男の口調は全く変わらなかった。
「うわ、なんかヤバいぞこれ。って思ったんだけど、死ぬってなんか現実的じゃないだろ?だから半信半疑ではあったんだけどね。けどまあ、とりあえずちょっと怖かったし紙に書いてある事に従ってみようと思ったわけ。そこで、その後でまた紙の文字がどう変わるか分かんなかったけど、そのままどっきりにしちゃおうと思って、紙をそのまま冷蔵庫に入れて浩一に電話したんだよ。面白そうだったから。まぁ……、ついでっちゃなんだけど、何人呼んでも大丈夫そうだったから、なんか起きた時の為にサトシにもね」
いつの間にか怒りという名のダムが決壊寸前だった。浩一の身体は怒りで硬直してきた。
「で、浩一が見た時には何だっけ? 『へやからでたらしぬ』だろ。そんでもってサトシと皆藤は連絡すら取れない……。ヤッバいね」
『へやからでるな』
『だれかへやによばないとしぬ』
『へやからでたらしぬ』
「ヤッバいね。じゃね〜よ! このバカ!」
ようやく浩一のノドから声が出た。
続けてありとあらゆる罵詈雑言を義男にぶちまけたかったが、軽々と理解を超えてしまった状況に整理が追いつかず、ただパクパクと口を動かす事しか出来なかった。
「お〜前なんで俺を巻き込んで!この……。あ〜〜〜!!!!」
下手な腹話術師の扱う人形のようになってしまっている浩一をよそに、義男はゆっくりと立ち上がり「アハハ、ごめんごめん。だからさっきの話でも言っただろ? 浩一だってそんな紙が出てきたって信じないだろうよ。ま、とにかく落ち着けよ。さらに俺バカじゃないし。ちょっとあの紙持ってくるわ」と言いながらキッチンに向かった。
その為のさっきのたとえ話か……。と、一瞬浩一は納得しかけたが、納得したところで事態は何も好転しないし、信じる信じない別としてどうして浩一を巻き込んだのか……。全く理解出来なかった。
「ちょっ……。ちょっと待てよ。っつうか意味わかんねぇよ。冗談だろ? だって訳わかんねぇぞ。何で冷蔵庫? そしたらあれは誰が書いたんだよ。死ぬ? 俺は書き変えてねぇし、見間違えなんてありえねぇし……。それに俺ら以外に誰もこの部屋にいた事はねぇぞ」
自分でも何を言ってるのか分からなかった。だが一つ一つ頭にある言葉を出さないと頭がパンクしてしまいそうだった。話すというよりも、頭にある言葉をマーライオンのように口から垂れ流している状態だった。
「だいたい、そしたらサトシとか皆藤はどうなったっつうんだよ? え? 何だこれは? お前は部屋から出るなって書いたんだろ? それが、誰か呼ばないと死ぬ? に? っつう事は……。いやいやいや!だいたいお前今までどこにいたんだよ?」
義男は紙を探しながら答える。
「今まで? いや読みたかった小説があったからずっと立ち読みしてたよ」
「立ち読みって、お前こんな状況の時に……。いや小説を立ち読みって……。いやそんな事言ってる場合じゃねぇし!」
故障したロボットになってしまった浩一には見向きもせず、義男はキッチンから拾って来たあの紙を見つめながら座り、ちゃぶ台に置いた。
「ガー!」
突然義男が目を見開き、両手を上げて叫んだ。
一瞬白目になるくらい驚いた浩一に、義男は紙を指差しながらゆっくり伝えた。
「どうだ、落ち着いたか? けど、それどころじゃないぞ」
浩一は当然落ち着いたのではなく驚きで呆然としてしまっていたのだが、そんな事を言える状態に無かった。そして小刻みに頷きながら、目を義男の顔から指の先にある紙に向けた。
『どちらかがへやからでないとしぬ』