2013/08/17

今年も行った。

去年、被災地に行きました。
行ってみて思った事は、ぜんぜん復興なんて進んで無ぇじゃんか!って事でした。
まぁ、地震が起きた直後から考えれば進んでいるのかもしれないですけど、1年半でこの状態なのか!?と。

そして今年も行きました。
どれくらい復興は進んだのか?とか、せめて被災地でお金を使ってこようとか、そんな気持ちも当然ありましたが、ともかく楽しもうぜ!ってのが第一でしたけど。

まずは去年の、確実に2機は死んだと言われている最強の敵「お盆渋滞」を回避、が第一目標です。
そこはまぁ、夜中の12時集合で行けば深夜の高速最強でしょ。
と、勢い勇んで行きました。


するとどうでしょう、大方の予想通り早く着き過ぎました。
反省を活かし過ぎたようです。

反省を活かし過ぎた人間の笑顔

とりあえず朝の6時にコンビニに寄った私たちは、「とにかく去年行った南三陸を目指そう」という事にしました。

そして、異常なほどの海の上のもやを見ながら南三陸に着きました。
去年来た時は、初めて被害を目の当たりにしたという事もあって、その異様な光景に言葉を失ったほどでしたが、今回は抜けるような青空のお陰なのか、慣れのお陰なのか、少しは進んでいる復興のお陰なのか、前ほどの悲壮感というか絶望的な感じは少し払拭されていました。
それでもまだ、あの時のまま建物はそこに残されていたし、瓦礫も残されていました。



お腹が空いた私たちは、去年もあった復興市のようなところに行きご飯を食べようとしたのですが、どこも準備中です。
ようするに早く着き過ぎたのです。

一軒だけやっているお店があったので、そこに入り「ハニートースト」を頼みました。
するとどうでしょう、とても巨大な、食パン一斤の半分を使ったハニートーストが出てきました。3人とも同じ物を頼んでいたので3人で黙々と食べました。

食べ終えた私たちは「だったらもう気仙沼まで行っちゃおうぜ!」と、今回の目的地である気仙沼に向かう事にしました。



この時点で24時間近く寝ていなかったので、あんまり記憶が定かではありませんが、宿の予約(気合いの当日予約)や、作戦会議で入った気仙沼駅前の喫茶店(店内は異様に暗く、店員らしきオッサンが奥の方で黙々と食事をしていた。だが店員かと思っていたオッサンはどうやら店員ではないらしく、私たちを無視してひたすら無言で食べ続けた。怖くなった私たちは、たちどころに退散した)や、地図で偶然発見した「奇跡の一本松」を見に行きました。


南気仙沼駅付近の光景

かなり内陸まで流されてきた船

まだまだ残されている瓦礫




そして今回の宿「大鍋屋」に到着です。
外観を見た瞬間の気持ちは一生忘れないでしょう。
3人が3人とも呆気にとられ、その直後「うおー!マジかよ!」と叫びました。
なんかよくわかりませんが、片方の壁がトタン全開というか、エッシャーの騙し絵のような建物だったからです。

これはトタン全開とは逆側の面(エッシャー面)

ですが、後から聞いた話によると、津波で1階は流され(他人の家が2軒ほど1階部分に入り込んでいた)、2階の床くらいまで波が来たようで、そこから気合いで営業が出来るところまで復活したとの話を聞き、心打たれた私たちはそこに気合いで乗り込みました。

中は思っていたより綺麗で、廊下との境も襖だけ(もちろん鍵無し)、プライバシーとか防犯とか関係ないっしょ?っていう大鍋屋さんの提案に根性で乗っかりました。

鍵や靴脱ぎスペースもなく、ダイレクト廊下


でも、とても良い宿でした。

そして「渋滞に勝利する」という目標がある私たちは、朝7時に宿を立ち帰路につきました。

あまりにも早い帰宅に気を良くした私たちは、結局友人宅で「桃鉄」を夜中の3時ころまでやってしまい、ボロボロになりながらそれぞれの家に帰りました。