2012/08/17

四日目



けっきょく、箱根のポーラ美術館でルソーの絵を見る事ができなかった私は、次の日に世田谷美術館に行くことにした。

なぜ世田谷美術館なのか?と問われれば私はこう答えるだろう「そこにルソーがあるからだ」と。

世田谷美術館はその名の通り世田谷にある。
詳しく言えば砧公園の敷地内だ。
私の家からはそこまで遠くないのを知っていた私は、正午前に家を出た。

なぜ正午前なのか?と問われれば私はこう答えるだろう「君はそうやって僕に質問ばかりしているけど、本当に知りたいことっていうのは、古いシトロエンのカーステレオで聴くバートバカラックの曲のように、簡単な事のようで、でもすんなりと選ぶ事のできない偶然の中にあるとも言えないかい?」と。
それを聞いた君は「あなたって、いつもそうね。草をたくさん食べて、気持ちよく寝ている羊にはそれくらいがちょうど良いのかもしれないけど、12時間前にピーナツバターを塗ったトーストしか食べていない私には、とても難解で、面倒な答えよ」と言うだろう。
それを聞いた僕は「僕は草をたくさん食べて寝ている羊になった事はないし、ましてやその羊が、ワインと自分の乳から作った新鮮なチーズを食べながらアブラムシとチェスをやっている夢を見ているんだとしたら、焼きたてのピーナツバタートーストなんて食べずに羊とのチェスに興じるだろうね」と。
それを聞いた君は「変わらないわね。南仏に住む老夫婦が決まってする、就寝前のお祈りを永遠と聞かされた気分だわ」と言うだろう。
それを聞いた僕は「いったいそれは、どんな気分だっていうんだい?」と聞き返す。
それを聞いた君は「もう、うんざりってことよ」と言いながら、困り果てた茄子の様な色をしたパンプスを穿いて部屋を出た。

けっきょく僕が言いたい事というのは「よく調べなかった俺も悪ぃけど、ルソーの絵が一枚も展示されて無ぇじゃねえか。収蔵作品は全部展示しやがれバカやろう」
という事です。
でも「暮しの手帖」の表紙展が行われていたので、それはそれで面白かったのですが「表紙の為のデザイン」と「絵画」は全く意味合いが別物なので、阿藤快が横にいたら「なんだかなぁ〜」と僕の気持ちを代弁してくれた事でしょう。

あとは、激熱の中、河原でパンを食べたり、吉祥寺では「makomo」さんが展覧会を偶然やっていたので、それを観てサインもらったりとか、なんかそんな感じだよ?