2011/07/12

部屋 13

「浩一はさ、不思議な出来事が起きた時に、すぐに信じられる方か?」
 義男がちゃぶ台を見つめながら、質問自体不思議な事を突然聞いてきた。
 ほんの二〜三分前に今日一日で起きた不思議な出来事を話したばかりだし、だいたいそんな事を話してる場合じゃない。それなのになぜそんな事を今聞いてくるのか?と浩一は理解に苦しんだ。
「あのさ……。さっき話したじゃん。すっげぇ不思議な出来事を体験したのよ、俺。しかもさっき。何聞いてたんだよ……」
 浩一はなるべくやんわり伝えるつもりだったが、あまりにもな質問の内容に言葉に棘が出てしまい、少し後悔した。だがそれくらいの棘なら義男には全く刺さらない。今までに何度も経験してきた事だった。浩一は少し後悔した事を後悔した。
「そうなんだけど、体験するって事と信じるって事は別だろ?」
 ちゃぶ台の上に置いた義男の手は、なぜか球を描くようなジェスチャーをしていた。本来なら次に話す事の内容に沿った動きなのだろうが、普段から義男はジェスチャーと内容が呼応していない事が多々あるのであまり気にしないようにした。
「たとえばさ……、あ!ビール買ってきたけど飲む?」
 そう言って義男は、そのリュックを背負っていない姿を見た事が無いというほどいつも背負っている風化寸前のリュックからそのままビールを取り出した。
「お〜! 飲む飲む! 超飲む……。ってお前さ〜別にいいんだけど、それリュックの中ビショビショになってんじゃないの? 水滴とかで。いいの?」
 最近では浩一もなるべく袋をもらわないようにしている。「エコ」という言葉を振りかざして来る輩はどうにも偽善的に見えて嫌いだったが、自分に出来る事くらいはやろうと思っていたからだ。だが義男はそういった事に限度が無く、どれだけ大きい物を買っても、どれだけ大量に物を買っても袋はもらわなかった。ちょっと前に古本屋で二十冊くらいまとめて本を買った時も袋をもらわなかったらしく、五キロくらいの道のりを本を抱えて歩いたのはさすがに大変だったと話していた。その話を聞いた時に、どうしてそこまでこだわるのか?と浩一が聞いたところ、袋を持ち歩く男はなんかかっこ悪いからだと義男は言っていた。
「全然大丈夫だよ。リュックん中なんも入ってないし」
「そっかそっか。そんなら平気だな」
 それならなんでリュックを背負って行くんだ?と本心では聞きたいのはやまやまだったが、そんな場合じゃないと浩一は言葉を飲み込んだ。
「で? 体験と信じる事は別だって?」
 浩一は、この話を終わらせない限り義男の場合一生話が逸れたままになってしまう危惧があるので、本題に戻らせようとした。
「ん? なんだっけそれ」
 本気で一分くらい前の事も忘れてしまう。それが義男だ。たぶん今は、なぜ空のリュックを持ち歩くのかの説明、で頭がいっぱいになってしまっているのだろう。だがどうあっても今はその話を聞くべきではない。仕方なく丁寧に最初から説明した。
「あ〜そうそう。それね。聞きたい? 続きを」
 口に含んだビールを顔面に吹きかけてやろうかと思ったが、さすがにそれは酷いかと浩一は寸前で思いとどまり、それをビールと一緒に飲み込み義男のテンションに乗っかった。
「聞きたい聞きたい! だから早く話せ」
 義男はそんな浩一の気遣いを無視して話し出した。
「オーケーオーケー。じゃあ例えばね、浩一が道を歩いてたらいきなりオッサンが話しかけてくるんだ。『私は未来から来た者です』って」
 義男お得意の、突拍子も無い共感しづらいたとえ話が始まりそうだった。実際にそんなオッサンにいきなり話しかけられたら無視して逃げるだろうが、とりあえず無難な合いの手を浩一は入れた。
「ほう。未来ね」
 その合いの手に満足したのか、嬉々として義男は話を続けた。
「そう! 未来! で、今日から三日間に起きる出来事を書いた紙を渡すから読んでくれって、紙を渡してきたのよ。で、読んでみたら何日はこんな天気で、こんな事件があって、こんな事が起きる。みたいな事が詳しく書いてあるんだ」
「ほう。詳しくね」
「それを浩一が読み終わるとオッサンが『三日後に私はまたここに来て君を待つ。その時には私が未来から来たという事が信じられているはずだ。待ってるぞ』なんて言うんだよ」
「ほう。言うんだ」
 全く同じ合いの手をとっている事について義男が何か言うかと思っていたが、全く意に介していないようだった。真面目に話を聞く気がしない浩一は次は少し合いの手を変えてみる事にした。
「その後三日間、本当にそこに書いてある事が当たる当たる。当たるっていうか、書いてる事が全部そのままなんだよ。だから浩一は、すげぇすげぇ! ってビックリして、三日後に待ち合わせの場所に行く事にした。で、行ったらそのオッサンがいて『どうだい? 私が未来から来た者だという事が信じられただろう?』なんて言うんだよ」
「イエス! 未来の人だって信じます!」
「あのさ、ちゃんと聞いてくれる?」
 思わぬところで注意を受け、浩一は思わずシュンとしてしまった。
「そこでだ。オッサンが『ここにこれから一年間に起きるあらゆる事を書いたノートがある。それを一千万円で買わないか?』って言って来た!」
 急な展開で話が面白くなってきた。浩一は義男のたとえ話の世界に入り込んでいた。
「なんか急にそのオッサン、胡散臭くなってきたな〜」
「だけどオッサンは、賭け事や宝くじの当選番号なんかも書いてあるから一千万円なんて安いモノだ、なんて言うんだわ」
 浩一には、そんな状況で当然思い浮かぶ疑問があった。
「でもさ、そしたらそのオッサンはなんで自分で宝くじとか買わないの?」
 義男は、その質問待っていました!と言わんばかりの顔で浩一の顔を指差してきた。
「いいね。そこ大事。オッサンにその話を聞いたらね、そのオッサンはこう言うんだ。『未来から来た自分にとってこの時代のお金は全く意味がないのだよ。未来に持って帰っても使えないからね。だがその上で君に一千万円と言ったのは、この「信じるか信じないか」ゲームを面白くする為にね、少し刺激的なスパイスを入れたかったからだよ』ってね」
 少し力技な感じもするが、そこを掘り下げても仕方がないので浩一は話の結論を自分から言った。
「で、それを買うかどうかって事ね?」
「イエス」
 自信満々の顔で急に「イエス」と言う義男が可笑しかった。無意識のうちに先ほどの浩一の「イエス」を真似してしまったのだろう。思わず浩一は笑ってしまった。
「いやいや笑うところじゃないよ。考えて! 買う? 買わない?」
 義男が「イエス」と言った事を浩一は笑っていたのだが義男は分かっていないようだ。それはともかく、面白い話だったので浩一はしばらく考えて答えた。
「まぁ、その三日間の出来事を当てたって事は事実なんだろうし凄いと思うけど、実際に一千万って言われたらねぇ。ほいっと出せる額じゃないし……。買わないんじゃないかなぁ〜」
 義男はその浩一の答えを聞くや否や、ヒザをバシッと叩いた。
「だろ! そこだよ! 買わないよな、それは!」
 ヒザを叩いた音が思いのほか大きく、浩一はビックリした。
「そんな不思議な出来事を体験したとしても、そこまでは信じられないんだよ、人間って!」
「まぁ、そりゃね〜うん……。まあ……。そうね」
 浩一は色々と言いたい事があったが、興奮してる義男に何かを言っても無駄なので、さっきから気になっていた事を聞いた。
「で、その話はもういいよ。お前さ、さっき一応どっきりだねって言ってたけど、一応ってどういう事?」
「え? 終わりでいいの? ふ〜ん。じゃあえ〜っとなんだっけ……。あ〜一応どっきりってやつだっけ?」
 珍しく義男が口ごもるので、浩一は余計に気になり食い下がった。
「そうだよ! その一応っていうのは何が一応なんだよ? サトシと皆藤の事もどっきりなのか?」
「ちょっと待て! 整理して話すから、落ち着けよ」
 義男は両手の手のひらを浩一に向けて、落ち着けのポーズをとった。そして、また腕組みをして考え込むポーズに入ってしまった。仕方なく浩一は指示通り待つ事にした。