2011/07/12

部屋 15

「もう無理です……」
 誰に伝えるでも無く、畳に倒れた浩一の口から敬語が出た。
 義男が最初に書いたのは『へやからでるな』
 その後義男が見たのは『だれかへやによばないとしぬ』
 浩一が最初に見たのは『へやからでたらしぬ』
 そして最新の言葉は『どちらかがへやからでないとしぬ』
 口から出た言葉通り、もう浩一の頭はパンク寸前だった。これ以上理解不能な出来事が起こったら耳から脳が出てきそうだった。だが畳に仰向けに倒れ込んだ浩一とは裏腹に、義男は興味深げに紙を見つめていた。
「もう俺無理なんすけど、義男さん」
 諦め半分、投げやり半分。要するに浩一はもう何も出来なかった。
「義男さん、聞いてます?」
 紙を見つめ続ける義男にもう一度話しかけた。
「あ……。うん。聞いてる。でもこれさ、俺が見た『だれかよばないとしぬ』に近いよな」
 あまり慌てていない義男を見て浩一の心の重さが一瞬軽減されたが、もともと慌てない奴なのを思い出してまた畳に沈み込んだ。
「何が近いんすか?」
「いやね……」
 あごをさすりながら義男が話し出した。
「浩一が見た『へやからでたらしぬ』ってのは、部屋に何人いようがとにかく部屋から出た奴は死ぬって事だよな? そして、それは部屋にいれば安全って事になるわけだ、一応。浩一が無事だったように」
「そうっすねぇ」
 浩一は気の抜けた返事しか出来なかった。義男が何を言おうとしているのかなんてサッパリ分からなかったし、分かりたくもなかった。
「けどこの『どちらかがへやからでないとしぬ』ってのは、このまま二人が部屋に居続けたら死ぬって事を言ってるだけで、部屋から出たらどうなるとか、残った方はどうなるとかって事は書いてないよな」
「そうっすねぇ」
「って事はだよ、俺が見た『だれかよばないとしぬ』と同じで、誰かを呼びさえすれば俺が平気だったのと同じように、外に出ても大丈夫なんじゃないかと思うのよ」
「そうっすねぇ……。ん? そうっすか!?」
「そうなんだよ。これなら部屋から一旦出てどうにか出来るんじゃないか? って思うんだ」
 浩一は勢い良く起き上がり、ちゃぶ台に置いてある紙を手に取り、それこそ初めて書いたラブレターの文字校正をした時よりも読み返した。
「書いてねぇよ、部屋から出たら死ぬとは!」
 間違って半袖で北極に旅行に来てしまったが、一瞬にしてハワイに瞬間移動させてもらえた。そんな暖かさに包まれた安堵感を浩一は感じた。興奮する浩一を「まぁ落ち着けよ」と笑いながら言い、さらに続けた。
「これを書いてる奴? がどういう意図だかは分からないし何の保証も無いけど、少なくとも書いてある事に関しての嘘はなさそうだからな。出てみるチャンスかもしれない」
 浩一のパンク寸前の頭でも少々楽観的すぎるのではないか? という疑念はあったが、この状況で生まれたチャンスという言葉の魅力に勝つほどの力はなかった。諦めかけていた現状に差し込んだ一筋の光は、溺れる者の藁以上に心強かった。
 だが、そんな光を一瞬何かが遮ったのを浩一は感じた。
「そう。どっちが出るか……。なんだよ」
 義男が言ったのと同時に、遮った何かの正体が浩一にも分かった。遮られた光がだんだん小さくなっていくのを感じる中で、少しの間を置いて義男が言った。
「ま、ここは俺んちだしな。一日立ち読みしてて疲れてるし、浩一出ろよ」
 その言葉を聞くや否や、畳み掛けるように浩一は話しだした。
「マジで? うわ~超サンキュー! いやさ、義男が「俺が出る」って言い出したらどうしようかと、すっげぇドキドキだったんだよ〜」
 笑顔を崩さない義男を見て、あまりの嬉しさに饒舌になった浩一は続けた。
「これが映画だったらさぁ「いや、俺が出る」とか言うんだろうけど、俺巻き込まれただけだし、残るのは絶対無理って思ってたんだよ〜! いや、けど絶対助けにくるからな!」
 握りこぶしを振り回し興奮する浩一を、まだ笑顔を崩さずに見ながら義男は言った。
「いや、出る方と残る方、どっちが安全かは分からないぜ」
 義男はそうは言ったが、浩一は外に出る方が安全なのではないかと心の中で思っていたし、本当は義男もそう考えているに違いないとも思っていた。だがそれを言い出せない自分の気持ちと、外に出るのを譲ってくれた義男の気持ちに、浩一は何を言えばいいのか分からなくなった。
「ん……まあね〜」
 うなだれる浩一をけしかけるように、義男は立ち上がって言った。
「まあとにかく、実際にどっちが安全かは分からない。だから無事だった方が助ける。それでいいよな?」
「そ……そうだよな! 助けるし、助けられるぞ!」
 浩一は大声を出して立ち上がり、動力である勇気を確保しようと腕を回して自分を奮起させた。
 そんな腕を回す浩一を見ながら、義男は独り言なのか浩一に言っているのか分からないくらいの声で呟いた。
「まさかこんな嘘みたいな不思議な出来事が本当に起こるんだな。テレビとか小説の中だけだと思ってたわ。でも、もしかしたら誰も知らないだけで、この世界ではけっこうこんな事って起きてるのかもしれないな」
 呟きが耳に入った浩一が義男を見ると、義男は何も無かったかのように笑顔を作り直した。
「さあ! 行動は早い方がいいだろう。行ってくれ」
 普段はそんな事はしないのだが、義男が思いっきり浩一の尻を叩いた。そんならしくない行動が浩一を勇気づけた。
「よし! 行くわ! そんじゃ後でな!」
 無意識のうちにサトシと皆藤に倣い、敬礼をして浩一は歩き出した。
 ドアの前に着いた浩一が振り返ると、義男はさっきと同じ笑顔で腰に手を当てて浩一を見ていた。怖じ気づきそうな自分の為に、笑顔でいる義男の為に浩一は大きな声を出した。
「何があっても助け合おうぜ!」
「おう!」
 浩一はドアノブに手をかけ、一瞬ためらったが深呼吸をし、思いっきりドアを開けて外に飛び出した。