2011/07/12

部屋 2

 去年の夏、暇をしていた仲間達で、じゃんけんで負けた奴が町の外れの有名な心霊スポットである廃屋に一晩泊まるという、しょうもない遊びをやったことがあった。その時義男は後出ししたにも関わらず負けてしまい、さほど嫌がるわけでもなく、かといって楽しむわけでもなく、苦みと甘みを複雑に混ぜ合わせたようななテンションで、何の用意もせずに一人その廃屋に向かって行った。
「明日の朝九時に行く」と浩一たちは義男と約束をしてはいたが、もちろんそれは嘘だった。ビクビクしているであろう義男を驚かしてやろうと、真夜中に男五人で集まり廃屋に向かったのだった。
 その廃屋があるのは、うっそうと立ち並ぶ木々に囲まれた広い雑木林の奥で、昼でも薄暗い場所だった。昔から子ども達の間では恐れられていた廃屋ではあったが、それこそ殺人鬼がそこで人をバラバラにしたとか、カップルが心中したとか、ありがちな噂ばかりが流れていた場所でもあった。とはいえそんなありがちな噂しかない場所なのだが、身体の隅々まで入り込んでくるひんやりとした空気や、気を抜いたら一瞬にして闇に引きずり込まれてしまいそうな雰囲気がそこには佇んでおり、月明かりで照らされているとはいえ男数人で歩いていても、冗談なんて言えない粘っこく張り付いてくる恐怖感が漂っていた。
「義男のやつマジでいんのか?」
「ここに一人で泊まるとかって、ありえなくねぇ?」
「俺だったらソッコウで逃げるわ」
「やべぇ……。超コウェーよ」
 それぞれが勝手に喋る。恐怖から逃れるためなのか、独り言が増える。
 月の明かりが届かないほどの暗闇の雑木林をしばらく歩くと、ようやく廃屋が闇の中に見えて来た。トタンなのか木なのか、くすみ、朽ち果て、ふとそこだけ色彩が無くなってしまった壁。家を動かなくする為に、拘束具として絡み付く植物。外と中を分ける必要がないと、家が自ら全て割ってしまったかのように見える窓。とにかく人間が恐怖を感じる要素が全て詰め込まれた恐怖要塞だった。
「うわー! 無理無理! これぜっったい無理!」
「ここで何かあったとか関係なく、この家自体が恐いわ」
 さっさと義男をビビらせて速攻で帰ろう。と誰も口にしてはいないがみんな心の中でそう思っていた。
 義男にバレないようにつま先立ちで歩きながらドアの前に立ち、「せーの」でドアを開け、奇声を発しながら中に飛び込む!という何のアイデアも無い驚かせ方が、恐怖で頭を麻痺させられた浩一達に思い付く、唯一のアイデアだった。
 錆び付いて赤褐色一色になったドアノブは、ドアを開ける為につかむ場所という本来の役目を終え、今では俺に触れるなと言わんばかりの主張をしている。そんなぼろぼろのドアノブを、浩一は「触りたくねぇな~コレ」とひとり言を言いながら見つめていた。それに焦れた皆から「早くしろよ」と無言のアピールを受け、嫌々ながら浩一は言った。
「じゃ、行くぞ?」
 浩一がドアノブに手をかけた瞬間、背後で何かが爆ぜるような音がした。
「ワーーー!!」
 あたかもオリンピックの百メートル走のスタートがその爆ぜる音で切られたかのように、少し離れた場所にいた全員が一斉に浩一に向かって走り出して来た。義男を驚かせるためではなく、自分たちが逃げ込むためにドアを開け、恐怖を身体から放つために奇声を上げながら家になだれ込んだ。
 部屋に転がり込んだ浩一達は、何の助けにもならないと分かってはいたが、とにかく義男を探した。
「義男ー!」
「いなくね?」
「おい! どこだ義男ー!」
 部屋の中は思っていたよりも綺麗だった。綺麗とはいっても割れたガラスの破片やペットボトルや、ぱっと見で何だかよく分らない物がどこを見ても目に入ったので、あくまでも「廃墟のわりには」綺麗だった。だいたい八畳ほどの、そんなに広くない部屋で義男が見当たらない事に浩一達はとまどったが、よく見ると、奥に誰かがハンマーで殴って強引に作ったとも思える雑な入り口があるのをみつけた。
「あっちは?」
「お前見てこいよ」
「ふざけんなよ、無理だろ!」
「でもここにいねえんだから、あっちしか無えじゃん」
 奥にある部屋から誰一人目を離さず、お互いに押し付け合う。
 縦一列になると先頭と最後尾が不利という、心霊スポットではよく見られるやりとりがあった後、明らかに入り辛いにも関わらず、浩一達はデモ行進のように横一列になって奥の部屋におそるおそる入っていった。
 中に入った浩一たちは部屋を見回した。テーブルや棚やタンス等の生活にまつわる家具は無い。入り口から一番遠い部屋の隅に椅子らしき形をした物が置かれているだけだ。シミで薄汚れた壁にはなぜか窓が無く、浩一達が入って来た畳一畳分くらいの入り口以外は全て壁だ。閉め切られた部屋の空気は、体温に近い温度に暖められたせいかあまり温度を感じない。だが、心だけは冷凍庫に入れられてしまったように寒い。埃と黴とが混じり合った闇は浩一たちの鼻腔から入り込み、逃がすまいと身体を硬直させる。浩一はすぐにでも部屋から出たいと思ったが、部屋に背中を向けた瞬間に闇に潰されてしまいそうな気がして、振り向く事すら出来なかった。
「義男……?」
「いんのかー?」
 大きい声を出しても闇に潰される気がして小さな声しか出せない。義男以外には何も見つけたくないのだが、少しずつ闇に慣れてきた目は必要以上に情報を脳に送ってくる。見たくないが、見えないと怖い。俺たちは一様にとにかくキョロキョロしてしまっていた。まるで巨大なミーアキャットの群れだった。
 ほどなくして、一人が闇の中に何かをみつけた。
「あれ何? あの角の黒いやつ……」
「え?……」
「あれ義男じゃねぇの?」
「おい! 義男!」
 全員の目が部屋の隅にある、黒い雪ダルマに見える固まりに集中する。
「……ん? 誰? 何?」
 黒い雪ダルマがどこからともなく声を出した。
「お前何してんだよ!」
「え? 浩一か? 寝てたけど……。もう九時?」
 自分の家で目覚めた時と何ら変わらない伸びをして身体を起こす義男を見て、呆然とした浩一達からスッ…と恐怖が蒸発し抜けていった。

 と、あんな状況でも慌てる事のない義男だっただけに、どんな事が起これば義男が慌てるのかは想像がつかなかった。だが、その義男が深夜の電話では息を荒げ、早口にまくしたて慌てていた。
 そしてもう一つ、義男が「何時でもいいから来て欲しい」と言った事だ。