2011/07/12

部屋 7

 どんな感情も見えない、全くの無表情で読み上げた。
「え? 何それ? ちょっと見して」
 浩一はサトシから紙を受け取る。
 そこには確かに『へやからでたらしぬ』とだけ全てひらがなで、ジェットコースターに乗ったまま書いたような勢いで赤鉛筆で殴り書きされていた。漢字で字を書く時間すら惜しいという気持ちがひしひしと伝わって来る、殴り書きのひらがなだった。
「これは何? ……義男の仕掛けたどっきり?」
 肩に耳が付きそうなほどに目いっぱい首を傾げながら、サトシが独り言用のボリュームで半笑いで聞いて来る。聞かれた浩一も首を傾げ、腕を組み、半笑いで眉間にしわを寄せた。
 とにかく分からなかった。義男という人間は通常とは違った価値基準で生きている。だが、こういう類いの冗談はやらない。しかし、どんな時も予想の裏側から顔をひょこっと出す義男だっただけに、だからこそやりそうだとも感じられた。
「う~ん、どうだろ、どっきりにしちゃ仕掛けが甘過ぎるよな。だいたい冷蔵庫を開けない可能性だってあった訳だし。けど、なんとなくだけどヤバい感じの字だよな」
 浩一は状況をそのまま話しただけだった。それはとにかく何かを言った方が良いと思ったからだった。部屋から出たらとんでもない事が起こるとは思えなかったが、心の隅の方に『かといって出るのもちょっと怖い気もする……』という気持ちがあったからだろう。
「無視して出てみる?」
 サトシが浩一の小さな恐怖感を見抜いたのか、ニヤニヤとした顔つきで言ってきた。
「え? いやぁ〜まぁ、義男が帰って来りゃ全部分かるだろうから、もうちょっと待ちましょうよ」
 浩一は精一杯の余裕をみせた。
「え~じゃあ飲み物どうすんだよ~」
「いいタイミングじゃん、さっきのノリでまた色々考えてみようぜ。義男が仕掛けたどっきりだったとして、一番あいつが楽しめないリアクションとかさ」
 こんなくだらないどっきりを仕掛けてきた義男の鼻を明かすアイデアを考えるのが少し魅力的に思えて、浩一はテンションを上げて言った。
「何だよ急に〜。テンション高ぇよ」
 サトシは「テンション低くないっすか~?」と誰かれかまわずよく言っているのだが、自分の意志に反してテンションがあがった人を見ると迷惑そうにする事がある。言われた浩一は急に少し恥ずかしくなったが、それを察されるのが嫌だったのでそのままのテンションで続けた。
「とにかくさ、義男が一番がっかりするパターンを考えようぜ」
「そりゃもう無視して帰る。が一番っしょ」
 自信満々な顔でサトシが元も子もない事を言う。そこで浩一はふと気づき、言い方を変えてみる。
「確かにそうなんだけどさ、せっかくだし何かこう……一盛り上がりしたいじゃない。逆どっきりみたいな感じで」
「逆どっきり? お〜、それいいじゃん!」
 浩一は逆どっきりという言葉を聞いて突然テンションが上がったサトシを見ながら「サトシにはわかり易く具体的な例を」と心のメモに書き付ける。
「でもそしたらさ、義男が帰って来た時に俺達がいないってのがやっぱり一番いいんじゃないの? 冷蔵庫すら開けなかったみたいな感じで」
 サトシにしてはもっともな意見だった。ただその場合義男のリアクションが見れないし、何よりも外に出る事への不安が心の隅にある為に頷けなかった。
「まあ確かにね~。がっかりする義男を見たいよね。でも、かといって隠れる場所なんてこの部屋には無いしな~」
 部屋を見回しながらサトシは言った。だいたい連絡のつかない義男が何時に帰宅するかも分からず、仮に隠れる場所があったとしても、この暑さでは二人とも脱水症状で倒れているところを義男に発見されるのがオチだ。それはそれでどっきりだが、死を覚悟のどっきりなんてやれない。
 しばらく二人でああでもないこうでもないとアイデアを出し合っていたが良い案は出なかった。なにせ、義男がいつ帰って来るのかが分からなかったから。